あきらめた人があきらめる事について語ってみた

さて、ここでも他でも言ってきたことなんですが

私、「元漫画家志望者」なんです

元とつくからには「あきらめた」ということになるんでしょうか。

志望者をやめた後は、プロのアシスタントとして10年以上背景を描きました。
そして、先日それも卒業した私。

こんなツイートをしました

以下、Twitter引用・修正です

あきらめた人こと私思うに
「夢のあきらめ時」は やりたくなくなった時

「そういうのはあきらめるとは言わんがな」 と聞こえてきそうだけど
でも本当にそうなんです

何でかと言うとやりたいという気持ちがあったら
どうしても 「やってしまう」んですよね
私が漫画をやめようと思ったのは
「もう描きたくなくなった」でした

逆に言うと 「才能の有無」は全然あきらめる理由にならないと思います
(自分でそれが身に染みてやる気がなくなるなら理由になるけど)

「やりたい」という気持ちがあるうちは
どんな形でも携わっていればいいんじゃないでしょか
それは時代的にも
「大きなメディアや媒体に認められなくても個人で何か出来る時代になった」
というのがデカいと思います

是非やりたい事を楽しんでくださいな

更に言うと「あきらめたい事」があるときに
「あきらめないで頑張って!」などと言ってくる人もいるでしょう

「夢をあきらめないで」という曲もあるし
真矢ミキも笑顔で言ってくる

ところがこれ 「まだやりたい気持ちを持ってる人向けアドバイス」なんです

「もうやる気がない」と言う人にとっては 聞かなくてもよい言葉ですね
だけど他人は「夢をあきらめずに追い続ける事」に美しさを求めます
無責任に。

だけど自分の人生だから 自分で選んでいいんですよー

月日が経ち、自分も変化して
昔の夢がフィットしなくなり腐ってしまうことも十分あります

夢がまだ鮮度を保ち続けてるならあきらめなくていいし
もう腐ってるなと思うならきっちりクローズして
新しい生き方を模索しましょう

どちらの選択も同じ位価値がありますよ
自分が本当にそうしたいなら。

なんか長くなったけど 平たく言うと

「やりたいなら続けよ!」

「やりたくなかったらやめちゃお!」

この2つ以外にないねw
ここには他人の評価やアドバイスなど介在しない。 自分の選択だけがある。

決められるのは自分だけ

私も「もう投稿しません」と周りの人に表明した時
「あきらめないで」というお言葉を頂いたりしたのですが

でも「そう言ってあげるのが思いやり」と思ってるのが
わかっちゃうんだよなぁww

やっぱり、私が漫画を描かなくなる事を惜しいと思って言ってたとしたら
ちゃんとわかりますよ。
いくら当時は漫画を描いてるだけの、第六感を意識しない人だったとしてもね。

そしてやっぱり「惜しい」と思って言ってくれたとしても
そこに私の「まだやりたい」が無ければ
続けることは土台無理なことでしょう。

そして「やりたい」が残っていれば一度やめても
どんな形でもなにか描き続けたはずです。

(そして何も描かなかった)

おかげさまで、きっちりあきらめて
何とか今では別の道筋をこうして見つけることが出来ました。

あきらめたいと思う事がある人は
自分の心とよく相談してみましょう。
そこに一番正しい答えがあります。

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