死にたくなるのは仕様だと思ったら気が楽になった話~前半~

皆様、お元気でしたでしょうか。
まあ、Twitterあたりは動いていましたけども。

いやはや、前回の更新からなんと4ヶ月。
ようやく更新したと思ったらなんちゅータイトルなんだよw

まあでも、これこそ「営業しなくなったからこそ書けることかもしれないなあ」
というお話でございまして。

この4ヶ月間、どうしていたかというと、どっぷり引きこもりワーカーとして暗躍してまして。
何か書きたいなと思っても余裕がございませんでしたね~

がっさり働き続けてその合間にも色々心というのは動くものでして
時々ふとした拍子に「もう生きていたくないんだけど」と思ってしまう事もありましたね。
ほんと「ふとした拍子」で、そこに大した深刻さはないんですけど。

んで。

私は、けっこう子供の頃から「なんで生きてなきゃいけないの・・・」とか
「さっさと終わってくれていいんだけど」とか思っていたほうで
そう思わないようになりたい、どうにかすれば思わなくなるのかしらと思いながら生きていて
ある意味そのために生きていたようなところもあるように感じますね。

そして結果的にシータヒーリングなどのスピリチュアルメソッドに出会うわけなんですけど
まああれやこれやと本当に、そういった手法を用いていろいろやってきたわけですよ。
いつか「生きていて良かった!」と言えるように。

ところがどっこい、シータヒーリングのプラクティショナーコースもほとんど受けて、
(活動してないけど)インストラクターまで取得してさえ直らない。

「私が何かいけないのだろうか」
と思ってずっとセルフワークを続けるんですけど、やっぱ直らないんですね。

誰かのセッションやペアワークを介してさえ。

んで
「創造主、ぜんっぜん直んないんだけどこれ、どうしたらいいんだろう」
と問うてみたら

「んとねー、『死にたがりの私』が居ることを、この世界の集合無意識が望んだ結果、あなたがそれを受け入れてプログラミングされています」

という答え。

えぇ・・・

「だから、あなたがその設定を受け入れてしたかったことを観るべきですね」

と。

ちなみに、この「死にたがりの私」は私特有のものじゃないっぽい。

見ていくと・・・まあ、私側の理由としては「新しい生き方を世界に示す」だったようです。
でもこれを、「死にたがり」として行わなくても良いのではないだろうか。

私「創造主、死にたがりでいることはやめてもいいんでしょう?」
創造主「モチのロンよ」

というわけで、その辺のあれこれを癒やして変えて、ってやっていったのですが
それより何より、

「そう思っている私がいけない」

ではなく

「そう思う要因があって、それをやめることが出来る」

と気づくことが出来たのは大きかったですね。

癒やして変えた後も、ヘソ曲げるとチラリと顔をだすのは出すんですけど
「なんかね、バカバカしいね」と思うようになりました。

ちょっと長くなったので後半へ続きます。

 

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